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『生誕の災厄』(紀伊国屋書店)

最近、自分の中で「哲学の世界を覗いてみようキャンペーン」を実施しており、あまり手を出さずにいた思想・哲学系の本を読んでいる。哲学系の本は内容が抽象的な上、一文がやたらに長いものが多いため、集中して読まないと前後の言葉の関係が理解できないものが多い。(特にカントとか…。)読んでは戻り、読んでは戻りを繰り返し、そのうち諦めてしまった本もある。(まあカントなんですけど…。)

そんな中、シオランの『生誕の災厄』は、隙間時間を使って読みやすい一冊だった。

この本は、自分の思惟を短い文章で言い切るアフォリズムと呼ばれる形式で書かれている。格言・名言集のような形で、イメージとしてはTwitterが近いと思う。そのため読みやすく、わかりやすいのだが、それ故にとても刺さる本だ。

エミール・シオランは、ルーマニア出身の思想家である。鬱的情動に悩まされていたこともあり、その思索は悲観的であり、ニヒリムズの色が強い。『生誕の災厄』も、そのタイトルからして攻撃的で、厭世観に満ちている。なぜこの本を読もうと思ったかというと、彼も私と同じく不眠症に悩まされていたからである。

孤独と絶望の中で、生まれてきたことを悲嘆し憤るシオランの痛な叫びが、読む人の精神を突き刺し、揺さぶる。そのため、読む人の年齢や性格、精神状態によって、その受け取り方は大きく異なってくると思う。不快極まりないと本を打ち捨てたくなる人もいるだろうし、「厨二病乙!」と冷笑する人もいるだろう。一方で、狂信的に傾倒してしまう人もいるだろうし、共感し、救われる人もいると思う。

私はというと、心がえぐられるような辛辣な言葉の断片の奥に、救済を求める祈りのようなものを感じ、うまく言えないが、愛おしく思った。生に対する呪詛をこれだけ並べ立てながらも、シオランは人間や生に対する愛があったのだと思う。むしろ、愛があったからこそ、これらの断章が生み出されたのだと思う。

<了解>しながら、なお生に止まることほど、欺瞞的な態度はない。

長生きをしすぎた人間は、自分でははっきりそれと認めずに、時にはそれと知らずに、おのれをさげすんでいるものだ。

そこまで自覚していながらも、シオランは自殺をせず、84歳で天寿を全うした。
生まれてきたことを心底呪い、欺瞞に満ちた人間社会に絶望しながらも、シオランは自分の人生を生き抜いたのである。
その事実に、私は救いを感じた。

最後に、私の好きな一節を紹介する。

前を見るな。後ろもみるな。恐れず悔いずに、おまえ自身の内部を見よ。過去や未来の奴隷となっているかぎり、誰にも自己のなかへ降りてゆくことはできない。

未来を憂いてもこれから起こることを予測することはできないし、過去を悔いても今更それを変えることもできない。
制御できるのは「今の自分」だけだ。
自己と対話し、今の自分を正面から受け入れた時に見えたものを大切にしたいと思った。

2019.2.13投稿

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