神宮前ギャラリー更新

神宮前ギャラリーサイトに2月のイベント情報を追加しました。

非・美術系の学生展

開催期間:2019年2月20日(木)〜25日(火)

学業の傍ら絵を描いている薬学部・文学部・工学部の学生3名による合同展。日本画・イラスト・色鉛筆画を中心に大小20点以上の作品が展示されます。

非・美術系の学生展

神宮前ギャラリー更新

神宮前ギャラリーサイトに2月のイベント情報を追加しました。

シロイユメ

開催期間:2019年2月15日(土)〜16日(日)

今年で3回目となる東京工科大学美術同好会3年グループ展です。「当たり前に囚われすぎない自由な発想を大切にした」それぞれの特別な視点をお楽しみください。

謹賀新年2020

明けましておめでとうございます。

昨年ななちが中学生になったタイミングで「子育て」カテゴリを閉じ、その分「書評」カテゴリを増やしてみました。

濫読系なのでレビューする本にも統一性はありませんが、これからもマイペースに書き綴っていこうと思っていますので、よろしくお願いいたします。

この年末年始は実家で過ごした。おせちを30日までに作らなくてはならなかったので忙しかったが、その分、大晦日とお正月はのんびり過ごすことができた。田作はななち作。年々上手になっている。

クリスマスケーキ2019

今年のクリスマスはお家パーティーが少なかったのでケーキ作りも楽だった。

家族にはブッシュドノエルを作った。生クリームがあまり好きではないななちだが、最近チョコレートクリームのケーキは好んで食べるようになったのでチョコレートでデコレーション。

義実家はケーキは用意してくれるとの事だったのでミートパイをお土産にした。子供達にも好評。

母にはシュトレン。今回はキットを使わず挑戦。第一次発酵までホームベーカリーでできるので思ったより楽だった。

『笑うな』(新潮文庫)

今年最後の書評は筒井康隆氏の『笑うな』。タイトルになっている「笑うな」をはじめとする34篇のショート・ショートが綴じられている。

筒井康隆氏と言えば映画化された『時をかける少女』が有名だが、そのイメージでこの短編集を読むと少しびっくりするかもしれない。ブラック・ユーモアのブラック度合いが濃いのである。以前紹介した星新一氏のショートショートの世界をより世俗的にして、エログロ要素を追加した感じだ。なので、好き嫌いは分かれると思う。

もちろん、全てがブラック・ユーモアという訳ではない。34篇のショート・ショートはバラエティに富んでおり、「最初の混線」のように最後のオチでくすりと笑える落語のようなものもあれば、「駝鳥」のように寓話的なものもある。「座敷ぼっこ」はロマンティックなファンタジーで、読後感も良い。

一方でブラックな話はかなり意地が悪い。「傷ついたのは誰の心」や「廃墟」、「べムたちの消えた夜」などはユーモアを感じられないくらいにブラックすぎて、なんとも言えない読後感が残る。

このなんとも言えない読後感の正体はなんだろうと考えながら繰り返し読んだ。そして、これは見て見ぬふりをしている人間の残酷で醜い部分を見せつけられたことによる戸惑いなのではないかという結論に達した。

「正義」に出てくる「彼」のような人はTwitterでよく見かけるし、「チョウ」で記録されている現象は、芸能人の不倫報道で盛り上がるワイドショーやTwitterの炎上騒動を彷彿とさせる。これらのショート・ショートは全てフィクションであるが、現実社会の表象でもあるのではないだろうか。筒井康隆氏はこれらのショート・ショートを通し、不条理で自分勝手な人間や社会を皮肉っているのだと思う。

色々なものへの配慮が求められるようになり、小説や漫画、アニメの表現規制も厳しくなった現代においては、筒井康隆氏のような(良い意味で)ぶっ飛んだ作家はもう現れないのかもしれない。時代の流れだと思うので、それが悪いことだとは言わない。ただ、世の中の作品が配慮されたお行儀の良いものばかりになったとして、人間社会がそれを反映したような差別のない愛と優しさにあふれた平和なものになるかどうかは甚だ疑問だ。

今年からスタートした書評シリーズ。ななちの習い事を待っている間にカフェで読んだ本について徒然と書いてきた。今日で今年の習い事は終わりなので、しばらく読書はお預けとなるため、書評もしばしお休み…。

ふちねこ

今月はキャンペーンしていたふちねこが欲しくて毎週veloceに通った。一番欲しかったチビサンタ猫が一発で当たり嬉しい。

RYO universalリニューアル

小田原駅前のレストランRYO universalのウェブサイトをリニューアル。利酒師の資格を持つ支配人が料理に合わせておすすめの日本酒を提案する【酒BAR】スタイルでの営業をスタートしました。

RYO universal

注目は開成町の酒蔵、瀬戸酒造とのコラボ企画である【日本酒ペアリング会席】。先付やお造り、焼物、寿司など、それぞれの料理に合わせて日本酒を楽しむことができる。酒蒸しやデザートにも瀬戸酒造の日本酒を使うこだわりようで、日本酒好きにはたまらない会席となっている。

小田原方面にお越しの際はぜひお立ち寄りを。

marshipさん個展へ

神宮前ギャラリーで開催しているmarshipさんの個展「星の降る森」へ行ってきた。

marshipさんはイベント出展は頻繁に行なっているが、個展という形での展示販売は今回が初めてとのこと。ギャラリー空間全体でmarshipさんの世界を表現されていてとても素敵だった。

marshipさんの作品の魅力は造形の細かさと世界観だ。作品一つ一つにストーリーがあり、動物への深い愛を感じる。例えばこのベタのピアスは、耳につけると泡をイメージしたブルートパーズの周りをベタがヒラヒラ泳ぐように作られている。

陽気なスマイルを浮かべたハシビロコウのリング。このゴツさと存在感、男性がつけても素敵だと思う。

立ち姿のペンダントも、ハシビロコウの特徴である直立不動感があふれている。

他ではあまり見られない爬虫類や昆虫をモチーフにしたアクセサリーがあるのも魅力だ。

また、今回は個展と言うことで石のセレクトオーダー会も開催。

自分で好きな石を選んでそれをピアスやリングなど好きなアイテムに仕上げてもらう事ができる。

使用する石はデンドリッククォーツ。金属成分が水晶に溶け込こんでいて植物入りの琥珀のような模様を持つ。

自然のものであるため、同じ模様のデンドリッククォーツはない。どれもが世界でたった一つだけの模様だ。

自分へのクリスマスプレゼントとして、新規にぶら下がりポーズのハリちゃんをお迎え。

誕生日にプレゼントしてもらった燻銀ハリちゃんと比べるとサイズも重量もアップ。冬のニットにちょうどいいサイズだ。

このフォルムとリアルなハリ感、実物を見たりされているのですかとmarshipさんにお伺いしたところ、ハリカフェや動物園などで実際に見て、触れ合って作品の造形イメージを作っているとのこと。ヤンバルクイナを作成する時には沖縄まで実物を見にいったのだとか。(すごい!)作家さんにお会いして色々お話を聞けるのも個展ならでは。

marshipさんの作品展は明日まで。ここでは紹介しきれないくらい、魅力的な作品がたくさんあるのでお見逃しなく。来場者プレゼントのクロスもとても素敵。

marship個展「星の降る森」

獄至十五ツアー参戦

この週末はななちと打首獄門同好会のライブに行ってきた。

打首獄門同好会を知ったきっかけはApple Musicだ。「For you (あなたへのおすすめ)」でたまたま流れてきた「布団の中から出なくない」を聴いて「なんだ?この私の心情をそのまま歌いあげたようなこの曲はッ?!」となり、ググってYouTubeのチャンネルを発見し「日本の米は世界一」を聴いて「あ、好き…」とハマった。

その後ななちにも布教し(→あっさりハマる)、いつか二人でライブとか行けたらいいなーなんて思っていたのだが、思った以上にその日は早く訪れた。このくじ運のない私がチケット当選したのである。

ななちは初のライブハウスデビューだし、私もめちゃくちゃ久しぶりのライブだ。オールスタンディングで二人とも体力がもつのかと不安だったが、とりあえずバンドTシャツを打首獄門同好会公式サイトで購入するなどして気合を入れる。

バンドタオルもゲット。

これらを装備し、体力アップのため夕飯には牛タンを摂取。いざCLUB CITTAへ。

前に行った時は確かまだ川崎クラブチッタだったと思うので20年ぶりくらいになる。すっかりお洒落な町になっていてびっくり。チネチッタのクリスマスイルミネーション、綺麗だった。

獄至十五ツアーは対バン形式で行われていて、会場毎に様々なゲストが出演するのだが、今回ゲストは氣志團だった。

テレビでみたあのリーゼントヘアの昭和のヤンキーがすぐ目の前に立っている。それだけでも興奮したが、パフォーマンスが始まるとさらにテンションアップ。歌はもちろん、トークも演出も面白くて笑いっぱなしだった。私は氣志團のライブに来たんだっけ?と思うくらいに密度の濃い、大サービスなステージだった。

これは打首さん、ステージ食われてしまうのでは…と一瞬思ったが、全くそんなことはなかった。むしろ、そんなことを一瞬でも思ってしまった自分を恥じたい。

大澤会長の宣言と共に「きのこたけのこ戦争」が勃発、ライブ会場は瞬時に打首ワールドへと切り替わった。さっきまで楽しくワンナイトフィーバーを踊っていた周囲の人達がいきなりヘドバンを始め、力の限り「きのこ!きのこ!」「たけのこ!たけのこ!」と絶叫し始めたのだ。驚いていたらサビでモッシュが始まり、何の心構えもなかったななちと私はあっという間に3メートルくらい流された。

ライブハウスもオールスタンディングも経験があったのだが、モッシュやリフトがあるタイプのライブは今回が初めて。最初は訳がわからず圧倒されてしまったが、モッシュが起こるタイミングを掴めるようになってくると楽しめるようになってきた。

他にも「島国DNA」ではマグロのバルーン人形がダイブしてきたり、「デリシャススティック」ではペンライトがわりにうまい棒が配られたりと、今まで経験したことのない演出ばかりで楽しかった。

こんなに踊って、歌って、叫んだのは初めてかもしれない。個人的には白米至上主義者として人目を憚らず心の底から「日本の米は世界一ィィ!!」と叫ぶ事ができたのが何よりも嬉しかった。

アンコール「フローネル」でライブは幕を閉じた。我に返ると疲労で動けなくなりそうだったのでテンションを保ったまま速やかに帰宅。そして二人で肩まであったか〜いお風呂に浸かり…幸せを感じた。(お風呂最高!)

獄至十五ツアー、本当に熱くて楽しい時間を過ごす事ができた。親子でのライブ参戦もいい思い出になった。次の機会があるのなら、その時までに体力をつけ、体幹を鍛えておこうと思う。(現在絶賛筋肉痛)

打首さんの歌はドラムもギターもかっこいい上、歌詞がとてつもなくわかり味が深い。個人的にとてもオススメなので一度聴いてみてほしい。

『ねずみとくじら』(評論社)

今月最後の絵本レビューは『ねずみとくじら』。小さな陸のねずみと、大きな海のくじらの静かな友情の物語である。

海が大好きなねずみのエーモスは、航海に出ようと船を作って意気揚々と出発するが、うっかり海に落ちてしまう。船を失い、体力も尽き、死を覚悟したところにくじらのボーリスが通りかかり、エーモスは一命を取り留める。二人は意気投合して親友となり、エーモスは命の恩人であるボーリスに、助けが必要な時は喜んで協力すると約束して別れる。

エーモスは陸で、ボーリスは海でそれぞれ幸せに暮らして願い年月がたったある日、嵐にあったボーリスがエーモスのすむ浜べに打ち上げられてしまう。運良くエーモスに再会したものの、小さなねずみに自分の巨体を海に戻すことなどできないとボーリスはあきらめる。ところがエーモスはびっくりするような方法でボーリスを助け出す。

ストーリーとしてはイソップ寓話の『ライオンとねずみ』に似ている。しかし二つの物語は、ねずみとの関係性が異なっている。ライオンは終始ねずみを「小さくて何もできやしない」と侮っているのに対し、くじらは

あのちいさいねずみくんが、ぼくのやくにたちたいとさ。しんせつのかたまりだな。ぼくはかれがすきだ。

と言うように、小さいながらも自分の役に立ちたいと言うねずみを愛おしく思っている。ねずみとくじらは互いに対する敬意があり、対等な関係なのだ。

そのため似ている話だがテーマは大きく異なっている。『ライオンとねずみ』は「小さく非力なものを侮ることなかれ」という訓話なのに対し、『ねずみとくじら』は「本当の友達とは何か」を気づかせてくれる物語だ。住むところが違っても、大きさや力が違っても、お互いに相手を大切に思う気持ちがあれば対等な関係を築くことができる。そしてこの対等な関係であるという点こそが、本当の友達であるか否かを見極める点なのだと思う。

とても温かい絵本なのだが、使用されている言葉は難しい。原文(英語)の雰囲気を残したいという訳者の意図や、初版が43年前という時代的なものも関係しているのだと思うが、「なぎわたった」「はたして できがよく」「やまなす おおなみ」「しあんしました」など、日常生活ではあまり使われないような文語的な表現が多く使われている。しかも子供向けと言うことで、そうした言葉が全部平仮名で書かれているので、少し読みにくい。小さな子供に読み聞かせる際には、難しい言葉は噛み砕きながら(例:しあんしました→かんがえました)読み聞かせると良いと思う。

個人的にはこうした少し古めかしい文体は好きだし、この絵本のもつ雰囲気やテーマにもとても合っていると思う。

ふたりは、このさき2どとあえないことを しっていました。
そしてぜったいに あいてをわすれないことも しっていました。

少ししんみりするけれど、本を閉じた後には温かい気持ちが残る、最後の一文は秀逸だと思う。

『悲しい本』(あかね書房)

今日は父の誕生日だ。もう祝うことのできない誕生日。たくさんの思い出がある日だから、喪失感が大きい。そんな日に読みたくなるのが『悲しい本』だ。

『葉っぱのフレディ』『わすれられないおくりもの』など、死に向き合う絵本はこれまで何冊か紹介してきたが、この『悲しい本』は今までとは少し趣が異なる絵本である。この本は好き嫌いがわかれると思うし、子供というより大人向きの絵本なのでおすすめ絵本として紹介することはしていなかったのだが、今日読んで癒されたのでやはり載せておくことにした。

この絵本の語り手は息子を亡くした父親だ。悲嘆にくれる男の姿を、男自身の言葉で綴っている。

どこもかしこも悲しい。からだじゅうが、悲しい。

男は自分を残して死んだ息子に腹を立てたり、激情的にむちゃくちゃなことをしたり、悲しみをやり過ごす方法を探したり、悲しみについて考えたりしながら日々を過ごす。

誰にも、なにも話したくないときもある。
誰にも。どんな人にも。誰ひとり。
ひとりで考えたい。
私の悲しみだから。ほかの誰のものでもないのだから。

男の心に住みついてしまった悲しみは消えることはないだろう。しかし男は、どうしようもない悲しみに押しつぶされそうになりながらも、消え失せてしまいたいと願いながらも、生き続けるのだと思う。息子と過ごした楽しい日々の思い出が、大好きな誕生日の思い出が男の心を照らしてくれるかぎり。

父が亡くなり2年が経った。
なんとか母を元気付けようと励ましてきたし、母も頑張ってくれているが、悲しみが癒えることはなかった。そのことをずっと不甲斐なく感じてきたのだが、この本を読んで、悲しみは無理に癒さなくてもよいのかもしれないと思えるようになった。