『know』(ハヤカワ文庫)
文化の日をはさんだ前後二週間(10月27日から11月9日まで)は毎年読書週間(今年で第74回目)とされており、書店や図書館などでイベントが開催されたりしている。そんな訳で久しぶりの書評である。引き続き野﨑まどさんの作品で『know』。これは前回紹介した『HELLO WORLD』の原点と言われている作品だ。
舞台は『HELLO WORLD』と同じく京都。時代は2080年、人造の脳葉〈電子葉〉の移植が義務化されたことにより、人々はあらゆる情報をあらゆる場所で瞬時に取得できるようになっていた。知りたいと思ったその瞬間に脳がネット検索して情報を取得する。そんな超情報化社会の中では「最初から知っている」ことと「調べて知る」ことの差異は縮まりつつあり、ネットで調べられることは全て「知っている」と言われるようになった。
超情報化社会は高度な利便性を誇る一方で、情報格差をもたらしていた。人々は情報格(クラス)と呼ばれる階級制度により、取得可能な情報と個人情報の保護レベルが規定されているのだ。クラスの高い人間は個人情報を守られながら他者の情報に対する高いアクセス権限を持っているのに対し、クラスの低い人間は個人情報が無差別に公開されている上にほとんどの情報を得られない状態にあった。
物語の主人公、御野・連レル(おの・ツレル)は、情報庁で働く官僚であり、超情報化社会の中におけるエリートである。超情報化社会の礎を築いた天才研究者、道終・常イチ(みちお・ジョウイチ)を敬愛し、恩師に追いつこうと邁進してきた彼は、クラス制度が利権目当てに人為的に作られた格差であり、恩師がそれに加担していたことを知る。「すべての情報は自由であり、オープンソースであるべきだ」と説いた恩師の言葉も理想もまやかしであったと理解した連レルは、女やドラッグで気を紛らわしながら失意の日々を送っていた。
そんなある日、連レルは常イチの書いたソースコードの中に暗号が組み込まれていることに気がつく。隠されたメッセージに導かれて京都市内の喫茶店に出向いた連レルは、そこで14歳の少女、道終・知ル(みちお・シル)と出会う。彼女は常イチの養女であり、量子コンピュータの〈電子葉〉を移植された「世界の全ての情報に手が届く人間」であった。常イチに知ルを託された連レルは「約束」の日までの4日間を共に過ごすことになる。世界最高の情報処理能力を持つ知ルが求めたもの、それは「全知」であった。
『know』はそのタイトルの示す通り「知る」と「脳」をテーマにしたSFファンタジーである。脳の電子化はSFでよく見る設定だが、膨大な情報を収集し処理する脳の仕組みを、生命のあり方に擬えて「情報の自己組織化」と表現し、「知識欲」を人間の本質的な欲求の一つと定義したところはユニークだ。さらに、密教の曼荼羅、日本の創世神話、アダムとイヴの知恵の実を引き合いに、太古より生と知と死は密接な関係を持つものとして認識されていたことを導き出すのは、野﨑まどさんならではの展開だと思った。
ただ、14歳の少女が大人と男女の関係を持つという点については、中学生の子を持つ親として若干の嫌悪感があった。しかし、物語の展開上、脳が成長過程にある年齢である事、あらゆる経験をする必要がある事、そして受胎可能な性別である事は不可欠な設定であったのであろうことは理解できる。
私達は毎日何かしらについて「知りたい」と願いながら生きている。明日の天気や美味しいお店、株価の動きや相手の気持ち…。そうした事を「知る」ために、ネットや雑誌で情報を集めたり、過去のデータを分析したり、家族や友達に相談したりと多くの労力をかけている。「知る」ことによって安心感を得たり、覚悟を決めるたりすることができるからだ。
言い換えればそれは「未知」のものが怖いということである。心霊現象にゾッとするのも、新型コロナウィルスの発生により世界中がパニックになっているのも、その根っこは同じ「未知のものに対する恐怖」なのかもしれない。人間は未知のものに対して根源的な部分で恐怖を感じており、その最たるものが「死」なのではないか。全人類が必ず経験するにも関わらず、未だ解明されていない死後の世界。死んだら自分の魂とか精神とか呼ばれるものがどうなるのかについて、科学技術が発達した現代においても明確な答えは出ていない。
もし死後の世界について「知る」ことができるようになったとしたら、社会の価値観は大きく変わり、人類は新しい世界を迎えることになるのかもしれない。最後のエピソードは、そんなことを思わせる落語のようなオチだった。
2020.11.4投稿