キャパオーバー
病んでいるのは体なのか心なのか。沈んだ時の万能薬、ポテチ&コーラすら摂取する気にならない。おそらくななちからもらったタチの悪い風邪と、ここ3週間に渡る情報の摂取過剰による消化不良のせいだ。連日のように入ってくる多種多様な情報、私の処理能力ではもはや追いついていけない。キャパオーバーだ。もう沢山だ。
もともと他人の事にはさほど関心はない。それ故、自分とは関係ない他人の話で盛り上がる事が理解できない。噂話をすることに、どのような目的と楽しみがあるのか…全く理解の外だ。そんな訳で、噂話やら井戸端会議的なものとは無縁な人生を送ってきたのだが、この一年ばかりはそうもいかなかった。立場上、各方面から様々なタイプの情報が、知りたくもないのに入ってくる。
視野を広げるという意味ではいいのかもしれない、色んな思考形態の人がいることが解り社会勉強になる、となるべく前向きに考えるよう努めてきた。しかし、ここにきて我慢というか許容量を超えた。処理されない状態でどんどん内部に溜まって、お腹いっぱいな感じだ。
もう真面目に一つ一つ処理していられない。まとめて箱に放り込んで、がっちり蓋して重りをつけて深海に沈めてしまいたい。
しかしせっかくなので、「どうして根も葉もない適当な情報がまことしやかな話として巷で語られるようになるのか」ということについて、私なりに分析した結果を記録しておこう。
例えばある人Aが「あそこのレストランあまりお客さん入ってないよね。」という話を友達Bにしたとする。するとその友達Bは「Aとも話してたんだけど、あそこのレストラン、全然お客さん入ってないみたい。そのうちつぶれるかもね。」と少し大げさに自分の主観も交えて友達Cに話す。すると友達Cは「あそこのレストラン、つぶれるかもって話だよ。新しいパン屋でもできたらいいのにね。」と関心のある部分のみを強調し、自分の主観もくっつけて友達Dに話す。そんな感じでDからE、EからFと噂され、Zに行き着く頃には「あそこのレストラン、つぶれてパン屋ができるみたいだよ。」という話になってしまう。
要するに「事実」と「主観」の間がきちんと線引きされていないため、個人の主観の部分のみが一人歩きし、根も葉もない事柄が既成事実となってしまうのだ。しかもその過程で、話をより面白くしようと色んな人が余計な尾ひれ背びれをつけていく。まるで、カラスが様々な鳥の羽で着飾り鳥の王様になろうとしたように。
実際に自分の目で見て、自分の耳で聞いたこと以外は鵜呑みにない。また出処の知れない不確定な情報は他人に流さない。情報を消化することは諦めたとしても、この二点だけは貫き通していきたい。
2013.2.1投稿