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異邦人(カミュ)

『異邦人』(新潮文庫)

先日久しぶりに体調を崩してしまい、ほぼ丸一日寝室に引きこもっていた。14時間ほど眠り、流石にこれ以上は眠れないが起きることも難しい…ということで久しぶりに『異邦人』を読んだ。決して明るい話ではないが、好きな本である。

『異邦人』は主人公ムルソーによって語られる一人称小説だ。一人称小説は語り手の視点や感情を織り交ぜながら物語が進められるものが多いが、この物語は情景だけを写しとるような形で淡々と語られる。

物語は「きょう、ママンが死んだ」という衝撃的な一文から始まる。人はこの後に母を亡くした息子の悲しみが綴られるであろうと期待するだろうが、いつまでたってもそうした場面は登場しない。

遺体と対面した際も、そこで語られるのは遺体安置所の白い部屋の造りやそこにいた看護婦や門衛の言動のみで、通夜や葬儀の間も、参列する人々の様子が客観的に語られているのみである。

こんなにも感情の描写がないのはムルソーが悲しみのあまり、気持ちを閉ざしてしまったせいなのかもしれない…と解釈しようとするだろうが、母の埋葬後にムルソーは12時間ぐっすりと眠り、翌日は恋人と海水浴や映画を楽しんだ、と語られることによりその期待は裏切られる。

ムルソーにとって一番大切なものは「今この瞬間の自分の欲求」だ。ミルク・コーヒーが飲みたい、煙草が吸いたい、疲れたので眠りたい、女を抱きたい…。場の空気を読むことなく、こうした刹那的な欲求を優先してしまうのである。気遣いのない行動であるが、悪意もない。ただ自分の欲求に正直なだけである。

しかし、こうした態度は彼が無神論者であることと相まって「魂というものは一かけらもない」「人間らしいものは何一つない」と糾弾される要因となってしまう。

ある日、ムルソーは友人の男女関係のもつれに巻き込まれた結果、一人のアラビア人を殺害し、逮捕される。殺害は正当防衛であったと主張する弁護士に対し、検事はムルソーが母の死を悲しまなかったことを引き合いに出し、ムルソーは人間的心情が欠落した存在で、社会的に脅威となりうるとして死刑を要求する。

当のムルソーはそうした裁判の流れを他人事のように眺めているだけで、何も弁明しようとはしない。検事の勝手な解釈と決めつけによって「罪人ムルソー」が作られていく様をみつめながら、早く終わらせて独房に帰って眠ることだけを願う。この場においても自分の刹那的な欲求を最優先にしてしまうのである。その結果、彼は死刑宣告という最悪の結末を招いてしまう。

物語も残すところあと数ページといったところで、ムルソーが初めて感情を剥き出しにする。死刑囚のために祈りを捧げにきたという司祭と対話する中で、ムルソーは「私の中で何かが裂けた」と感じ、怒りを爆発させるのである。

君は死人のような生き方をしているから、自分が生きているということにさえ、自信がない。私はといえば、両手はからっぽのようだ。しかし、私は自信を持っている。自分について、すべてについて、君より強く、また、私の人生について、来るべきあの死について。

ムルソーは、何も知らないくせに理解者を気取り、親身に寄り添おうとする司祭こそが、彼の対極にある存在であり、我慢ならない存在であることに気がついたのだ。そして同時に自分がいわゆる「普通の人」とは違うこと…彼の暮らす社会においては「異邦人」であったことを認識したのだろう。常に他人事のように俯瞰して見ていた自分の生が、リアルに自分のものになった瞬間であったのだと思う。

自分は異邦人であった。それを隠すことなく、普通であるふりをせず、自分を貫き通して生きてしまったために、社会から抹殺されることになったのだということを理解した時、彼は初めて世界に心を開き、幸福であったと確信する。

今までずっと淡々とつづられてきた分、最後の爆発的な感情の描写には圧倒されるものがある。静かなモノクロ映画を見ていたはずなのに、最後の最後にそれが色鮮やかな現実世界になった感じだ。2ページにわたり捲し立てられるムルソーの言葉には一種のカタルシスを感じる。

人間も群れで生きる動物である以上、群れに害をなすものや群れに馴染めないものを排除しようとするのは本能的に自然なことなのかもしれない。その一方で、動物にはない理性を有するが故に、平等や博愛の精神を持ちたいと願い、人類みな兄弟、話せばわかる、愛は全てを救う…といった理想を掲げて生きている。不条理なことだが、それが人間社会なのだと思う。

2019.11.12投稿

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