『「知」の欺瞞』(岩波現代文庫)
夫が出張で不在のため、この数日は夜に自分時間がたっぷりとれたので久しぶりにボリュームのある本を読んだ。
この本は「ソーカル事件」を引き起こしたニューヨーク大学の物理学者アラン・ソーカルによって書かれたものである。
ソーカルは科学用語や数式をそれっぽく散りばめただけの内容のない論文(=当時のポストモダニズム思想家の論文のパロディー)をポストモダニズム専門の学術誌「ソーシャル・テクスト」に送り、この論文がデタラメであることを見抜けるかどうかを試した。この悪戯は成功し、論文は高く評価されて雑誌に掲載されてしまう。するとソーカルはその論文がパロディーであることを暴露し、それを見抜けなかったポストモダニズム哲学界を糾弾した。当然、ソーカルのこの意地の悪い行動は反発を招き、社会的に大論争を巻き起こした。これがいわゆる「ソーカル事件」である。
騒動後、ソーカルはパロディー論文を発表した意図は一部のポストモダニズム思想家による「数字や科学の粗雑な濫用」を告発するためであると主張し、それを具体的に解説するために『「知」の欺瞞』を発表する。
この本ではラカン、クリステヴァ、ドゥルーズなど、当時の代表的なポストモダニズム思想家が、どのように科学的概念や科学用語を濫用しているかについて、実例を挙げながら丁寧に解説している。一言で言うと、実に意地悪な本である。
専門用語が数多く出てくるが、これでもかッ!というくらいに脚注がついているので、数学や物理学の専門知識がなくても批判している論文の問題点がとてもよくわかる。もちろん、数学・物理学の専門知識がある人であれば、より面白く読むことができるであろう。ソーカルは一般の人にもわかりやすい文章で自身の主張を述べることにより、意図的に難解に書かれたポストモダニズムの論文に対する意趣返しをしているのだと感じた。
徹底的に相手をこき下ろすソーカルの姿勢は、人によっては意地悪く感じるかもしれない。ちなみに私は「科学的概念を通常の文脈と完全に離れて使うこと」に対するソーカルの怒りを感じながら痛快に読むことができた。(もしかしたら性格が悪いのかもしれない。)
ソーカルは学問に対し誠実であるからこそ「明快な思考と明晰な書き方を放棄すること」に対して強く憤りを感じ、そうした風潮が教育と文化に悪影響を及ぼすことを本気で懸念しているのだと思う。
人はなんだかんだ言いながら権威あるものに弱い。学会の権威だったり、その道のプロだったりする人が話す事は、あまり疑いを持たずに信じてしまいがちだ。
そのため、専門家があえて難解な言葉ばかりを使って自分の主張や研究を「知識のある人にしか理解できないハイレベルなもの」風に仕立てあげてしまうと、その内容に違和感を感じても、多くの人はそれを指摘することができない。裸の王様に「裸だ!」と言えなかった大臣や家来のように、全くわからないのにわかったふりをしてしまう。
裸の王様に自信をもって「裸だ!」と言えるようになるために、あるいは裸だと言えなくても本当は裸であると気がつくことができるようになるためにも、何事も盲目的に信じずに懐疑的な姿勢も持つようにしつつ、幅広い知識を身につけていくことが大切なのだと思う。
2019.10.23投稿