『バートルビー』(光文社)

Twitterで「#今まで読んだ中で一番こわい短編小説」というタグが流れてきた。私だったら何をあげるか…。ぱっと思いついたのはカフカの『変身』だ。私は本を読む時、文字を辿りながら頭でその言葉を映像化して読み進めていくタイプなので、頭の中に描かれる巨大な毒虫と不気味な情景(勝手に映像化されてしまうので制御不能)に「ヒィィィ!」となりながら読んだ。

江戸川乱歩の『人間椅子』も怖かった。しかしこれはどちらかというと気持ち悪いという感情の方が強かった。

どちらの本も怖かったが「今まで読んだ中で一番」とまではいかない。色々悩んだ結果、不気味とか気持ち悪いとかそういったものではない怖さを感じた本があるので、それをあげることにした。メルヴィルの『バートルビー』である。

ウォール街で法律事務所を営む弁護士が、一人の若い男を書記として雇った。哀れなほど礼儀正しく、孤独な姿をしたバートルビーは、異常なほどの分量の筆写を行なうが、弁護士が筆写以外の仕事を頼むと「わたくしはしない方がいいと思います」と穏やかな声で断る。

拒絶は次第にひどくなり、やがて彼はすべての仕事を断るようになった。弁護士は怒ったり、なだめたりしてどうにか仕事をさせようとするが、バートルビーは静かに「しない方がいいと思います」と拒否する。たまりかねた弁護士はバートルビーを事務所から追い出そうとするが「出ていかない方がいいと思います」とだけ言い、留まり続ける。

万策尽きた弁護士は「私の方が彼の許を離れるしかない」と、バートルビーを残したまま事務所を出ていく。後日、警察により「墓場」と呼ばれる刑務所に収監されたバートルビーは、食事も「しない方がよい」と拒絶し、死んでしまう。

正直、最初に読んだ時は意味がよくわからなかった。バートルビーの言っていることも、その行動も、理解不能だった。「え?なんで?」「何がしたいの??」と頭の中はクエスチョンマークだらけで、バートルビーに翻弄される弁護士そのものだった。バートルビーは狂人だったのか。この話は、単なる社会不適合者の話だったのか。

バートルビーが繰り返す「わたくしはしない方がいいと思います」という言葉には不思議な力がある。「したくない」あるいは「したい」といった断定の形でもなく、「した方がよい」という、選択を推奨する形でもない。意志を表す言葉としては控えめな部類に入るのに、強い拒絶が感じられる。

バートルビーはどうして「しない方がいい」と繰り返し、全ての事を拒絶したのか。
それをなんとか理解したくて、時間をかけて、繰り返し読んだ。まだ完璧に消化した訳ではないが、現段階での解釈を書いてみる。

働くことを拒絶するバートルビーを弁護士が追い出そうとしたのはなぜか。それは他の仲間達も仕事を拒絶し始める可能性があるからだ。事務所にいる時は働くという、あたりまえのルール。それを破る者が一人でもいると、ルールの存続が危うくなってしまう。だから弁護士は自分の前からバートルビーを消したかったのである。

しかし弁護士は、居座り続けるバートルビーを自ら警察に引き渡すことはせず、最終的には自分の方が出ていくという形をとった。慈悲深いキリスト教徒でありたいと思っている弁護士は、ただ働かないというだけの、罪のない青白い男を警察に引き渡すことに罪悪感を感じたのだ。

それはつまり、働いて家賃を払わないことが罪となる社会に対して少しは疑念を持っていた、ということだ。バートルビーと接することによってその疑念が広がり、自分の常識や価値観を侵食してしまうと感じたので、弁護士は彼の前から逃げ出したのではないだろうか。社会の常識から逸脱した行動を繰り返すバートルビーは、自分の生きている社会を、勤労を美徳とする資本主義的な価値観の社会を破壊しかねない存在だと悟り、恐れを感じたのではないか。

結果的にバートルビーは、権力によって強制的に刑務所に収監されてしまう。家賃を払わずに住み続けることは社会のルールに反しており、ルールを破った者は、罰せられなければならない。そうしなければ、みんながルールを守らなくなり、社会が乱れてしまうからだ。

だがもし、そのルール自体が間違っているとしたらどうだろう。「常識」と呼ばれる暗黙のルールは、本当にいつも正しいのだろうか。「ずっと続いているから」「みんなそうしているから」という理由だけで、疑念を持たずに盲目的に従うことは間違ってはいないだろうか。

不条理で理解しがたい存在にふれることにより、何の疑念も持っていなかった自分の中の常識や価値観に揺さぶりをかけられる。だから私は『バートルビー』に言い様のない怖さを感じる。