『ムーミン谷の11月』(岩波書店)

久しぶりの絵本レビューは『ムーミン谷の11月』。『ムーミン谷の彗星』と並んで好きな物語だ。『ムーミン谷の11月』は、ムーミンシリーズの最終話であり、『ムーミンパパ海へ行く』と対になっている物語である。

ムーミンパパの突然の思いつきにより、ムーミン一家はムーミン谷を飛び出し、灯台のある無人島で暮らし始める。(『ムーミンパパ海へ行く』)『ムーミン谷の11月』は、その間の谷の様子を描いた物語である。つまり、ムーミンシリーズでありながら、ムーミン一家が全くでてこない物語なのだ。

沈んだ気持ちになった時や不安な気持ちになった時に、自然と足が向くところ。それが、ムーミン一家の家だった。いつも迎え入れてくれる、心の拠り所となっていた存在を、何の前触れもなく失ってしまった、ムーミン谷の住人。誰もが動揺を隠せず、慰め合うように、共同生活を始めてみるものの、ムーミン一家がいた頃への憧憬が高まるばかりで、今の生活には不満しかない。そのため、住民同士の諍いも絶えない。

この物語に描かれているのは、大切な存在を失った深い喪失感だ。ムーミンシリーズ上、最も陰鬱な話だと思うし、とても子供向きの童話とは思えない。しかしながら、この物語に惹かれるのには理由がある。最後に救いがあるからだ。

喪失系の物語は「失ったものが戻り、みんなも元に戻りましたとさ。めでたしめでたし。」といった終わり方をするものが多いが、この物語は違う。最終的にムーミン一家は谷に帰ってくるのだが、住民達は、ムーミン一家が戻る前に、自分達自身で気持ちの折合いをつけ、立ち直って自分の家へと帰っていく。そこに救いがあるのだと私は感じる。

別れてしまった恋人、病気や事故で亡くなってしまった人、剥奪された名声など、現実の世界では、一度失ってしまったものを元どおりに取り戻すことは不可能だ。そのため「失ったものが戻ったので、元どおり」という結末はファンタジーであり、そこに現実的な救いはない。

しかしムーミン谷の住人は、喪失感や絶望と戦い、不満や不安をぶちまけながらも、最終的に自分達の力で立ち直っていく。この姿に、どんなに大きな喪失も、時間をかければ少しずつ埋めていくことが可能なのだという救いを見ることができるのだと思う。

心が疲れてしまった時、落ち込んでいる時に読むと、陰鬱なストーリーが沈んだ気持ちに寄り添ってくれ、最後には希望を与えてくれる。気持ちが落ち込んでいる時には、無理に元気になろうと頑張らなくていい。淡々と日々を過ごしていくうちに、自然にゆっくり回復していくから。この物語は、そう語りかけているような気がする。

『スプーンおばさんのぼうけん』(学習研究社)

私が子供のころテレビで放映していた「スプーンおばさん」が、最近夕方に再放送されていると知り、録画してななちと見ている。オープニングソングもエンディングソングも記憶の通りで、懐かしい。ななちに、多分図書館に原作の絵本があるから探してごらん、といったら早速図書館で『小さなスプーンおばさん』を見つけてを借りてきて読んでいた。

続編があるらしいけど、図書館にはないみたい…というので、続編『スプーンおばさんのぼうけん』を購入。池で水泳の練習をしたり、近所の男の子や女の子のために一肌ぬいだり、スキーの大会に出たりと、小さくなったおばさんは前作以上にアクティブに冒険をする。

突然ティースプーンくらいに小さくなってしまうという特異体質にも関わらず、おばさんはそれをすんなり受け入れ、動じず、その状況でできる限りのことをしようとする。しかも、そこに必死さはない。このどっしりと構えた安定感は、私の敬愛するムーミンママに通じるものがある。

スプーンおばさんの舞台も、ムーミンと同じく北欧…ヨーロッパ屈指の豪雪地帯である。昔、フィンランドに行った時、道端に停められた自動車が頭まで埋まっているのをみた。それも一台や二台ではない。どの車もこの雪じゃどうせ車走れないし…的なのりで置きっ放しになっているようだった。その大らかさにちょっと驚きつつも、なんかいいなあと感じた。

スプーンおばさんといい、ムーミンママといい、北欧の物語に出てくる女性は、どんなアクシデントが起こっても、動じたり、おろおろしたりせず、「あらあら」とその状況を受け入れ、マイペースに対応している。(そこに痺れるッ!憧れるッ!)冬場は雪に閉ざされてしまうような厳しい自然の中で暮らし、自然の力の偉大さと人間の力の限界を肌で感じているからからこそ、世の中何もかも思い通りにはいかないものだ…ということを悟っている、ということなのかもしれない。

『しんでくれた』(佼成出版社)

衝撃的なタイトルが目をひき、思わず手に取ってしまった一冊。表紙のハンバーグの絵を見て、なんとなく絵本の趣旨は察しがついた。
この絵本は、谷川俊太郎さんの詩を絵本化したものであり、テーマは「いただきます」の精神と命の重さだ。うしが死んでくれたおかげで、「ぼく」はハンバーグを食べることができる。普段何気なく食べているソーセージやナゲット、お刺身も、元は豚や鶏や魚であり、それらは食べられるために死んだ…という事を私達は忘れがちだ。

きれいにスライスされ、パックに入ってスーパーに並んでいる肉や魚を買う生活の中では、それらが、元々は自分達と同じく生きていた動物である…という事を意識する事は難しい。この絵本は、その事を思い出させ、私達の命は、多くの動物の犠牲の上に成り立っているのだという事実を突きつけるものである。

それ故、この絵本は、子供よっては大きなトラウマとなるかもしれない。デリケートな子の場合、この絵本がきっかけとなり、肉や魚を食べる事に大きな抵抗を持ってしまう可能性があるだろう。そのため、この絵本は万人向けのおすすめ絵本とは言い難い。まず親である大人が読み、自分の子供の性格を考慮した上で、読み聞かせるかどうかを決めてほしいと思う。

個人的には、とても良い本だと思った。牛や豚は食べられるために死んでくれた。だからこそ、私達は「いただきます」と言って、その命に感謝し、残さず食べなければならない。この絵本は、「いただきます」の本当の意味を教えてくれる。

そしてもう一つ、多くの命を犠牲にして生きているのだから、私達はその命を大切にしなければならない、ということも教えてくれる。「ぼく」は、死んでもだれも食べてはくれないから、死んであげても、なんの役にも立たない。それどころか、死んだら、家族や友達、多くの人を悲しませてしまう。それに、今まで犠牲にしてきた多くの命に対しても失礼なことだ。

命の重さを理解していれば、くだらない理由や一時の感情で人を殺してしまうこともないのではないだろうか。犠牲にしてきた命を思えば、どん底にいて、絶望していても、自ら命を絶つことを踏みとどまることができるかもしれない。

多くの動物の命をいただいてきた「ぼく」達ができること、すべきこと。その答えを、親子で一緒に考えてみてはどうだろうか。

『WORLD ATLAS 世界をぼうけん!地図の絵本 』(実業之日本社)

弟がななちの入学のお祝いにプレゼントしてくれた絵本。タイトル通り、世界地図の絵本で、世界の海と世界の大陸について、わかりやすく解説している。絵本には大きく見開きで地図が描かれており、地図の上にその地域に住んでいる動物や人々、有名な建造物等が描かれている。イラストも美しく、シンプルなようでありながらとても写実的だ。

優しい語り口調で書かれてはいるが、その内容は本格的でとてもしっかりしており、大人でも充分満足できる。例えば、太平洋には2万5千を超える島があり、地球で最も低い場所があること、南西アジア(中東)には気温が50度近くまであがるところもあれば、一年中雪が残っているところもあること、南アメリカのアマゾン川流域には1000種を超えるカエルと1500種を超える鳥がいること、など大人でも「そうなんだ〜。(知らなかった。)」と新しい発見がある。

作者のニック・クレイン氏は、1 年かけて大西洋から黒海まで、約1 万キロメートルを歩いたりしている作家兼冒険家。世界中を冒険し、その目で実際に見てきたからこそ、このような生き生きとしたわかりやすい文章が書けるのであろう。

この絵本のテーマは、世界と自然と人間の共存である。世界には様々な国があり、そこではその国の人々がそれぞれの文化や価値観で暮らしている。世界は広く、多様性に富むものであるが、地球という環境の中で生きる動物という点は共通している。だからこそ、力を合わせて地球の自然を守っていくことが大切だ…。そんなことに気づかせてくれる一冊だ。

『ふたりはいつも』(文化出版局)

アーノルド・ローベル氏のがまくんとかえるくんのシリーズ第三弾『ふたりは いつも』の表紙には二人で仲良く雪だるまを作っているがまくんとかえるくんが描かれている。かえるくん達、冬眠するんじゃないの…?などと野暮なことを言ってはいけない。この絵本には、移りゆく季節の中でも、変わらず仲良く愉快に過ごしている二人の日常が描かれている。

一番最初の「そりすべり」は、かえるくんにたたき起こされ渋々そりすべりに付き合うことになったがまくんを通し、よくある「思い込み」の力を皮肉って描いている。続く「そこの かどまで」は、春を待ちきれずに「そこのかどまで」春を探しにでかけたかえるくんの子供時代の思い出話で、春らしいほっこりした気持ちにさせてくれる。夏の「アイスクリーム」ではがまくんが体をはって笑いを提供してくれ、秋の「おちば」は互いを想い合うがまくんとかえるくんの姿が心を温かくしてくれる。

そして最後の「クリスマス・イブ」は、なかなかパーティーに来ないかえるくんを心配するがまくんの杞憂を面白おかしく描いたお話である。しかし、フル装備でかえるくん捜索に飛び出すがまくんの姿を滑稽だと笑って終わりにしてはいけない。「きみと いっしょに クリスマスをすごせて とても うれしいよ」という一言に、この絵本のメッセージが込められている。大切な人と一緒に過ごす、何気ない日常生活が、どれほど貴重で幸せなことであるのか。小さくてゆかいな二匹のかえるは、私達に大切な事を思い出させてくれる。

『100万回生きたねこ』(児童図書館)

数年ぶりに友人と会った。私の高校生活を楽しいものにしてくれた大切な友人だ。お互い結婚し、子供を育て、色々なものを抱えているはずなのに、不思議とそんな気はしなかった。昨日も部活で会ったよね?といった感じの変わらぬノリで楽しい時間が過ごせたことが嬉しく、幸せなことだと思った。

数時間に渡り色んな話をしたが、彼女の飼っているやんちゃな猫の話がとても面白かった。あまりにも賢くマイペースな猫ちゃんの話を聞いて、ふと思い出した絵本がある。「100万回生きたねこ」だ。

白と黒のシマシマ模様のトラねこは、何度も生まれ変わることができた。ある時は王様の猫として、ある時は船乗り猫として、ある時は女の子の猫として生まれ…と100万回も生まれ変わった。ねこが死ぬたびにそれぞれの飼い主たちはとても悲しんだが、トラねこはちっとも悲しくなかった。飼い主たちのことが嫌いだったのである。

ある時、トラねこは誰にも飼われていない野良猫として生まれる。トラねこは100万回生まれ変わったことを自慢し、周りのメスねこ達にチヤホヤされるが、ある一匹の白いねこだけはトラねこに関心を示さなかった。なんとか気を引こうと奮闘しているうちに、トラねこは白いねこに惹かれるようになり、「そばに いても、いいかい。」と素直に想いを告げる。

二匹は子を生み、育て、やがて年終えた。ある日、白いねこはトラねこの隣で動かなくなってしまう。今まで泣いたことのなかったトラねこは、100万回泣いて悲しみ、そして死んでしまう。トラねこは二度と生まれ変わることはなかった。

この絵本は読む人により感じ方が大きく異なる絵本だと思う。私が最初に読んだのは小学生の頃だった。その時はただ、悲しい絵本だと思った。中学生くらいになると、白ねこと出会えて幸せを知ったトラねこは幸せなのかもしれないと思えるようになった。大学の頃読んだ時は、愛されるより愛することの方が幸せなのだろうかと思い悩んだ。

大人になり、色々な形の死を経験し、結婚して、子育てをしている今はどうだろうか。

トラねこは、飼いねこの生では自分以外を愛することができなかった。野良ねこに生まれ、自分の思うようにならない相手と出会い、試行錯誤しながら想いを伝え、家庭を築いて行く中で愛と幸せを知ったのだ。飼いねこの時と何が違うのか、それは自分の生を受け身でなく、能動的に生きた、という点ではないだろうか。
残念ながら私たちは100万回も生まれ変わることはできない。だからこそ、たった一回だけのこの生を、必死に能動的に生きなければならない。今の私はそんなことを感じた。

今後20年、30年と歳を重ねた時に、年老いたトラねこのように「ずっとこのままでいたい」と思えたら、それはとても幸せなことだと思う。

『プチシェフのためのフレンチレシピ』(学習研究社)

義弟夫婦がななちのお誕生日にプレゼントしてくれたこの絵本。実は歴とした料理本である。ホテル・リッツが開催している「見習いシェフのアトリエ」という、6歳から12歳までを対象とした料理教室のレシピをまとめたものである。かわいいポップなイラストで材料や作り方をわかりやすく説明してくれている。ぱっと見子供向けっぽいが、これがなかなか本格的な内容である。

ななちのお誕生日に、一緒にトマトピラフと仔羊のエスカロープのクリームソースとやらを作ってみた。エスカロープとは斜め薄切りにした肉のことを言うらしい。仔羊がない場合は、鶏胸肉でも代用可能。今回はななちのリクエストでちゃんと仔羊で作ってみた。(ななちはラム肉好きなのである…。)

子供でも作れる簡単なレシピだが、味はなかなか本格的だった。ななちもプチシェフと呼ばれ満更でもないご様子。お料理好きならページをめくっているだけでワクワクする絵本だと思う。

『葉っぱのフレディ』(童話屋)

3年ほど前、祖母からプレゼントされた絵本である。まだ難しいかもしれないけれどいい本だったから大きくなったら読んであげて…と私に渡してくれた。今から思えば、祖母は私にこそ読んでもらいたかったのかもしれない。

春に生まれた葉っぱのフレディは、仲間と共に成長し、風にそよぎ、木陰を作ったり、紅葉して人々の目を楽しませたり…と「葉っぱに生まれてよかったな」と思いう楽しい日々を送る。やがて冬が訪れ、フレディはすべての仲間と自分に死が訪れることを知る。自らの短い生にどんな意味があったのかと悲しむフレディに、親友のダニエルが静かに諭す。葉っぱとしての役割を果たし、生きてきた時間の素晴らしさ、そして脈々と受け継がれていく「いのち」のかけがいのなさを。フレディが最期の時を迎え地面に落ちた時、初めて自分のいのちをつくった木の姿を見る。そのたくましい姿にいのちの永遠性を感じ、心安らかに眠りに入る。そしてフレディは土にかえり、木を育てる力となっていく…。

小さな子供であっても、漠然と「どうして人は死ぬのだろう」といった疑問は持っている。思春期の頃「いずれ死ぬと決まっているのに、なぜ今頑張って生きねばならないのか」と思い悩んだ人も多いのではないだろうか。この絵本は、誰もが一度は考える「生の意味」について、わかりやすい言葉で語りかけてくれる。

「死ぬというのも、変わることの一つなのだよ。」というダニエルの言葉は「死は変化の一つにすぎないのだから、恐れることはない」と「生の価値」を軽んずるようにも聞こえるが、私はその逆であると思う。

死は生あるもの全てに訪れる変化の一つにすぎないが、生まれて死ぬまでの時間をどう過ごすかは、その人自身に委ねられるものである。一緒に生まれた同じ木の葉であっても一枚一枚色づき方が違うように、その人の生き方次第で与えられた生はいかようにもなる。だからこそ、生きていることのすばらしさと自覚し、その生を精一杯生きて、自分の役割を全うすることが大切である。そして役割を全うした生は、脈々と次の世代に受け継がれていく。そうした「生の尊さ」をこの絵本は語りかけているのだと思う。

『かみさまからのおくりもの』(こぐま社)



可愛らしい天使がプレゼントを持って微笑んでいる表紙の絵、よく見るとこれは切り絵であることがわかる。この絵本はもともと一人のお母さんが娘さんのために作った手作り絵本が元になっている。そのため、この絵本のテーマにはとても説得力があり、共感することができる。子供というより、子育て中のお母さんにこそすすめたい一冊である。

「他の子はもうこんなことができる」とか「うちの子は他の子より寝ない」とか、母親というものは、ついつい他の子供と自分の子供を比較しがちだ。おそらくそれは、自分の育て方は正しいのかと不安になって見本や指針を求めようとする結果であり…つまりは一生懸命育てようとしていることの裏返しだともいえる。特に初めての子供ともなると、手探りもいいところだ。核家族化が進み、子育ての先輩である祖母や親戚も近くにおらず、雑誌やネットの情報に頼り試行錯誤で育てていかねばならない。その結果、比較し、他と違うと叱ってしまう…。作者自身も実際にそうした経験をしている。そしてその結果「本来もっている個性を壊してはいけない」と気がつき、この絵本を書いたのだそうだ。

ななちも小さい時から、割と個性的な子だったので、何度か軌道修正しようと試みた。しかしこの本を読んで、「あ、いいんだ。」と気持ちが楽になった。私は軌道修正を諦め、ななちはのびのびと個性を伸ばし、立派な恐竜マニアの釣りガールになった。(笑)

子供が生まれ持った根っこの部分を受け入れ、大きく成長させ、多様な社会の一員として根付いてくれるようにサポートしていく。シンプルなようでとても難しいが、それが子育てなのだとこの絵本は教えてくれた。

『わすれられないおくりもの』(児童図書館・絵本の部屋)



私がこの絵本に出会ったのは、高校生の時だ。入学したてで友達もできず、新しい生活に不安を抱えていた時、中学時代からの友人がプレゼントしてくれたのだ。読み進めるうちに、涙がポロポロと落ち止まらなくなり、最後は顔はぐちゃぐちゃだが、温かい気持ちになった。自分の「生」は一人だけのものではない。周りの人にも深く関わるものであり、その存在は死後も思い出の中に残っていく。だからこそ、人はその人生を精一杯生きなければならないのだ。アナグマはその生を悔いなく懸命に生きたから、足どり軽くトンネルを走っていけたのだと思う。

絵本といっても、これは大人向きの絵本だと思う。作者も、子供たちに読み聞かせることを通して、大人にも読んでもらいたい思っているのではないだろうか。ななちにはまだ少し難しいかも…と思い、実はまだ読み聞かせたことはない。正直なところをいうと、最後まで読み聞かせる自信がないので、もうちょっと大きくなってから自分で読んで欲しいと思っている。

大好きだった祖母が、この春トンネルへと旅立ってしまった。祖母が残してくれた沢山のおくりものを、ななちやその子供たちに受け継いでいけるよう、私も日々懸命に生きていきたい。