絵本レビューとWwbと…

酷暑の中で想う

7月も半ばを過ぎ、今日からななちの夏休みがスタートした。今月は仕事的にも精神的にもなかなかハードだった上に、ありえないくらいの暑さも重なって、珍しくへばってしまった。いつもならコーヒーとポテチで回復することができるのだが、今回ばかりは効果がなく、ただのデブの素と化してしまった。

こうなった時に唯一有効な手段は読書である。新たな知見を得て、視野を広げることで、自分の悩みは瑣末なものだと気がつくことができるからだ。

そんな訳でこの数週間は、ゲームやSNSに割いていた時間を全て読書に費やした。新しい本も読んだし、お気に入りの本を読み返したりもした。

色々なものを乱読して、やはり一番面白いなと思ったのが井筒俊彦先生の『イスラーム生誕』だった。この本は大学の図書館で出会い、この上なく惹かれて夢中になった青春の一冊だ。

イスラームに関する研究論文でありながら、文学的魅力に溢れており、まるで冒険譚を読んでいるような気持ちになる。読んでいてこんなにワクワクするのは、井筒先生自身がワクワクしながら書かれたからなのだと思う。

中でも、古代アラビアの詩をもって描かれるイスラームが誕生する前の世界、ジャーヒリーヤ(無道時代)の描写は秀逸だ。学生時代の私は、その独特な世界観と感性に惹きこまれ、夢中になった。

艱難辛苦おそうとも
弱気は見せぬ豪の者、
鬱勃たる野心、その欲望はとどめなく
やればなんでもやりとげる

上記はジャーヒリーヤを代表する詩人タアッバタ・シャッラン(私のハンドルネームは彼からもらった)の詩の一部だが、当時の価値観がよく表れている。

砂漠という過酷な環境に生きる彼らは、常に死を意識せざるを得ず、それ故に力の限り「今」を生きることを愛した。何ものにも束縛されず、不覊奔放に我が道をゆくことこそが、古代アラビアにおいては最高の人間的価値であった。

時には残忍に敵を傷つけたり、刹那的な快楽に溺れたりと、今の倫理観からはかけ離れた野蛮で原始的な世界であるのだが、ジャーヒリーヤの詩からは、一瞬で儚い命だからこそ「今」を自分のために、誇り高く生きよう、という熱情が伝わってくる。

若き男の子よ、楽しめよ、やがては「時」に消え滅びゆくいのちなり、
苦しみも楽しみも、安逸も貧弱も、いな、すべて
ひとたびこの世に生まれては死にて果たつべき定めなり

詩人ラービアの詩(一部抜粋)は、人生の儚さを悟り、刹那的快楽主義に傾倒していったジャーヒリーヤの人々の心情を象徴している。「所詮、生は限りあるもの」とペシミズムに陥り、「それなら悔いのないよう楽しむべきだ」と開き直るのは、とても単純な思考であるが、人間的だと思うし、私は好きだ。

ジャーヒリーヤの絶対不依の独立性と自由の精神に触れる度に、「限られた時間を楽しまなくてどうする?」という気持ちが湧き上がり、前向きに「ガンガンいこうぜ!」モードになることができる。

砂漠を思わせる、うだるような日差しの中、小学校生活最後の夏休みがスタートした。親子で楽しむことができる最後の夏休みとなるだろうから、気持ちを切り替え、この夏はめいっぱいななちと向き合って遊び、思い出を作ろうと思う。

参考文献:井筒俊彦『イスラーム生誕』(中公文庫)

2018.7.21投稿

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